おはようございます!亀井弘喜です。
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「残念な実家」からの卒業
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「残念な実家」からの卒業
あなたは、実家で両親が喧嘩するのを聞いたことがありますか?
僕は幼少期から思春期、そして大人になってからもよく聞いていました。
怒りっぽい(と捉えていた)父親と、謝らない(と捉えていた)母親。
どっちが悪いのかもよくわからないけど、どっちも目が怖かったのを覚えています。
そして何があったのかわからないけど、どっちもどっちなような気がしていました。
※当記事は数年前に書いたものを加筆修正しています
今日、実家で父と父の再婚相手の義理の母とゴルフに行きました。
あまり楽しそうではない母。
それを見て怒り出す父。
どこかで見たことのあるような懐かしさすら感じるような光景でした。
*
「残念な実家」
思春期の頃、僕は自分の実家をそう捉えていました。
大人になってからも、その捉え方は変わらず、実家にはあまり帰りませんでした。
母が亡くなり、自分は独立して鹿児島へ移住すると、実家に頻繁に帰ってくるようになりました。
ほどなく父は再婚しました。
実家では相変わらず誰かと誰かが喧嘩をすることがよくあります。
二階にある僕の部屋は、一階のリビングから吹き抜けになっていて、高校生の頃から、喧嘩が丸聞こえでした。
そして家族が喧嘩しているのを聞いては嫌な気持ちになっていたのです。
*
ついさっき、家に帰ってきても父と母は怒鳴り合いの喧嘩を始めました。
不思議と僕は嫌な気持ちは湧きませんでした。
それよりも、「好きだな〜」とかいちいち両者の言い分を聞いては「わかるわかる」と心の中で相槌すら打っていたのです。
「残念な実家」ではなくて「愛しい実家」になった瞬間でした。
プラスのことだけじゃなくて、怒鳴り合いの喧嘩をしていても愛しい実家。
あと一時間したら、東京へ向かい、また来月には戻ってくる実家。
来月戻ってくるころには、今日の喧嘩のことなど誰も覚えていないのでしょう。
必ず最後に愛は勝つ、という歌を思い出しました。
必ず最後に争いは負ける、とも言えるのかもしれませんね。
リビングの怒鳴り声が静かになりました。
そろそろ東京へ向かいます。
最後まで読んでくださってありがとうございました。
今日も素敵な1日をお過ごしください。
亀井 弘喜