あるガン患者の物語

おはようございます。
亀井弘喜です。

動画配信のお知らせです。

【YouTube配信】
【時間変更】
◉10/10(火)AM8:30-9:00ライフコーチかめちゃんLIVE配信はこちら

https://www.youtube.com/live/rqvCbCZom4k?si=Z2ektHE_vXr8-ith

◉10/10(火)AM9:00-9:15プレミア動画配信はこちら

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https://youtu.be/VJdQw256mls
(7分17秒)

先日更新のアメブロです。

目がやられました
https://ameblo.jp/hkamei1978/entry-12822881501.html

今日のメルマガです。
どうぞご覧ください。
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10月10日(火)AM7:11
馬車道のマンションにて

昨日は半年ぶりの
単独お話会からの
ブロック解放祭りだった。

50名集まってくださった
参加者の方々と
素晴らしい時間を共有できた。

お話会は
セミナーや講座ともまた違う。

エンターテインメント性が
高く

終わった後の独特の
感動に包まれた
爽やかな空気感も印象的だ。

そして
ブロック解放祭りは
人の美しさをたくさん感じられる。

昨日もそうだった。

お話会とブロック解放祭り。

これを僕はもっと
やっていたい。

そして
たくさんの人たちに
怖れから解放される
癒しの経験をプレゼント
してあげたい。

1日開けた今日は
7時まで寝ていた。

昨夜は
21:00くらいには
寝たので10時間くらい
寝ていたことになる。

それくらい
エネルギーを使ったのだろう。

それでも嫌な
疲れではなく心地良い
疲れだった。

これを47都道府県を
移動しながら
やっていた2021年の
自分は自分でも凄いと思う。

昨日のブロック解放祭りは
たまたまだけど

「がん」

という病気が
テーマの方が2名いた。

お一人はご自身が
舌ガンで闘病中の女性

もう一人は
旦那さんが
肺ガンで闘病中の女性だった。

がんというテーマを
抱えた人を見ると
僕はほとんど無意識に
母のことを思い出す。

母は2010年5月に
脳腫瘍といって
脳のガンだと診断された。

そのときは
ショックというより
これから何が待ち受けて
いるのだろうかという
不気味な空気を感じた。

脳腫瘍が発覚する
1〜2ヶ月前の母は
父が言うにはとにかく
「眠い」ということで
1日中寝ていたようだった。

母の変化を
不穏に思った父から

「お母さんが最近
 変なんだよ」

と珍しく電話が
かかってきた日のことを
今でも覚えている。

電話を変わった母は

「お父さんが
 気にし過ぎなのよ。

 なんともないから
 大丈夫よ」

と笑って言った。

僕は
父の違和感の方を
信頼した。

いつもの母では
ないような気がしたのだ。

母に何が起きているのか
このときはわかっていなかった。

そして
1〜2ヶ月後の
脳腫瘍の診断で
父と僕の違和感が
正しかったことを知る。

母は緊急入院し
抗がん剤も脳には効かない
ということと

脳は切除もできない
ということで

3大化学療法で
残されたものの1つ
放射線治療が勧められた。

脳に障害が残る可能性が
あることや

記憶がなくなる
可能性があることなど

事前にたくさんの
注意事項を聞いた上で

「放射線治療を
 やりますか?」

と医師に聞かれたとき
母は力強く

「やります」

と言った。

僕が小さい頃から
お酒をたくさん飲んで
いた母。

お酒に逃げるような
「弱い人」
だと思っていたが

このときから
印象が変わった。

僕の母は
「強い人」
だったのだ。

放射線治療をしてから
母は別人のように
弱っていった。

ボーッとする時間が
増えていき

たんが絡むようになり
それを自分では
吐き出せないから
咳き込んでしまい

看護師さんにたんを
吸い取ってもらってるときの
地獄のように苦しむ姿があった。

僕はその苦しむ母の姿から
目を背けたかったけど

逆に生きている証を
生きている姿を
脳裏に刻み込んでおこうと
直視し続けた。

その数日後
母は静かに息を引き取った。

2010年6月30日。
母は59歳の若さだった。

13年も前のことなのに
今でも鮮明にそれらの
場面を覚えている。

きっと僕が死ぬまで
覚えている記憶なのだろう。

なぜそれだけ覚えてるか
と言えば

それだけ僕の感情が
動いたからだ。

なぜそれだけ
感情が動いたかと言えば

それだ僕が
母を愛していたからだ。

がんという
苦しい病気の裏には
そうやって

関わる人の
愛を浮上させる
愛に気づかせる
恩恵もある。

何よりも
僕が自分の人生を
真剣に考え始めたのは

この母の死が
きっかけだったのだ。

母のがん闘病中
僕はいろんな本を
読んだ。

どこかに奇跡の
情報がないか
本屋という本屋を
探し回った。

実際に見つけた
奇跡の治癒の物語や
そのための食事療法
などの本をたくさん買って
仙台にお見舞いにいった。

母はそんな本に
全く興味を示さなかった。

母が欲しかったのも
きっと僕の愛情や
思いやりだったはずだ。

今の僕なら
たくさんの本を
買っていく代わりに

たくさんの愛情を
示すだろう。

たくさんの本の
代わりに毎日でも
母に手紙を書くだろう。

32歳だった当時の僕と
44歳になった今の僕では
大きく変わったのだ。

そしてその変わった僕は
がんの闘病で苦しむ
67歳の女性や

旦那さんの闘病で
苦しむ52歳の女性の
話を聞き

その人たちを癒し
少しでも良くなるように
全力でヒーリングをしていた。

変な救済心は
とっくに捨て去っているし

すべては決まっていて
予定調和なのかもしれないけど

それでも僕は
目の前のがん患者や
がん患者のご家族を見ると

「良くなって欲しい」

「元気になって欲しい」

と心の底から思う。

人は困ったときに
本気で変わり出す。

67歳で舌癌闘病中の
女性はうまく喋れないようで
たんも絡んでしまい
大変そうだった。

聞けば飲み込むことも
難しく味覚障害もあり
胃ろうで栄養を取っている
のだそう。

それでも
ブロック解放祭りが
終わったとき

「かめちゃん、
 私もセンターピース 
 受けたいです。

 受けられますか?」

と聞いてきてくれた。

僕は心の中で
感動しつつも

「もちろん大歓迎だけど
 今の状態だと
 ワークとかするのが
 大変になってしまうと思います。

 いつでも待ってるから
 もう少し元気になったら
 来てください」

と伝えた。

「わかりました!」

と返事をして
その女性は帰っていった。

思ったことが
叶う世界ならば

僕はあの女性にセンターピースを
教えることを叶えたい。

そしてがんの闘病を
笑い話に変えて
人生を楽しんで欲しいと思う。

今日は気づいたら
朝からたくさん文章を
書いていた。

コール&レスポンスは
僕からは決めずに

気づいたことや
感じたことや
体験談などを
返信していただけたら
嬉しく思う。

最後まで読んでくださってありがとうございました。

今日も素敵な1日をお過ごしください。

亀井 弘喜

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