自由と支配の価値は等しい

おはようございます。
亀井弘喜です。

 

今日のメルマガです。
どうぞご覧ください。

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今日の近況シェア:
「自由になりたかった」
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11月24日(金)20:52
福岡空港から羽田に向かう
機内にて

本当なら19:50発だった
飛行機が機材遅れで
4度時間変更になり

20:30

20:40

20:50

20:55

となった。

出発時間が変更に
なることはよくあるが
4回というのは
あまり記憶にない。

そのおかげで
博多のコーチング43期
中級のみんなとの懇親会に
ゆっくりと顔を出せたし

空港での仕事や
東京の家探しは
捗った。

どんな出来事も
プラスとマイナスは
同じだけあると

最近ハマっている
ディマティーニ
メソッドが

だんだんと習慣化して
きている。

思えば
「幸せの総量一緒説」
と名付けて

同じことを
自分自身で発見していた
はずなのだが

改めて
そうであることに
気づいてみると

毎日を過ごす感覚が
ちょっとずつ変化
してきているから
不思議なものだ。

数年前

「自由」について
メルマガに書いた
ことがある。

その頃のメルマガを
抜粋してみよう。

(数年前の
メルマガより引用)

ーーーーーーーーーー

僕は一体
どうなりたかった
のだろう?

小さい頃から
何を望んで
いたんだろう?

ふと
思い返してみた。

答えはとても
シンプルだった。

「自由に
 なりたかった」

のだ。

尾崎豊が
歌っていたように

「この支配からの卒業」

「この戦いからの卒業」

というのを
求めていた。

この世界における
自由って何だろう?
シンプルだった。

・時間的自由

・身体的自由

・精神的自由

・経済的自由

の4つだ。

◉時間的自由

何時に起きて
何をして
何時に寝るか
自分で決めたい。

◉身体的自由

どこにいるか。
いつまでいるか。
自分で決めたい。

◉精神的自由

何をするのか。
何をしないのかも
自分で決めたい。

◉経済的自由

何を買うか
買わないか
自分で決めたい。

 

小さい頃から
僕は制限されると
元気がなくなる
子どもだった。

大好きだったサッカーも
制限が多かったコーチと
過ごしたことで

気づいたら
嫌いになっていたのだ。

サッカーが嫌いだった
わけでも

コーチが嫌いだった
わけでもない。

僕は
「制限」や「支配」が
嫌いだったのだ。

でもあれから
30年くらい立って

「制限」や「支配」を
してきていた
本当の相手を知った。

それは
自分自身でした。

自分自身が制限を外し
支配をやめたところから
人生は自由になった。

・しては
いけないことは
何もない

・しなければ
ならないことは
何もない

この二つの人生の前提を
おいたとき

自分を許し
他人を許せるように
なった。

ーーーーーーーーー
(数年前の
メルマガより引用終了)

この頃の僕は

「自由」が「いいもの」で

「支配」「制限」が
「ダメなもの」

という前提に
立っていたように
思う。

今の僕の感覚とは
少し異なる。

今の僕は

「支配」「制限」も

自由と同じくらい
ポジティブな側面がある

と思っているし

逆に

「自由」は

「支配」「制限」と

同じくらい

しんどいこと
辛いことがある

と思っている。

そのことは
以前、バンカーや池や
OBのないゴルフコース
で例えたことがある。

考えてみれば
ゴルフという競技は
ゴルフ場側が

コース形態や作りを
「支配」してくれていて

さらに距離や障害物など
「制限」もうまく
配置してくれている。

無限に広い広大な
ゴルフ場で

何の障害物もない中で
行うゴルフは面白みが
ないことだろう。

その意味では
お金というのも
DSの支配とかに
憤る気持ちもあったが

今思えば
それすらも
このゲームを楽しむための

「制限」だったの
かもしれない。

僕は日本人プレイヤーが
海外のサッカーチームで
活躍する様を見るのが好きだ。

久保選手や三笘選手が
所属するチームの敵が
強ければ強いほど
ワクワクする。

きっとそれは
プレイする久保選手や
三苫選手も同様だろう。

DSの支配が
強い時代ほど
ワクワクする。

そんな人間に
僕はなりたいと思う。

今日のコーチングの
テーマの1つが

「困っているか」

だった。

コーチングは
素晴らしいものなのに
多くの人に広まらないのは
なぜだろう?

あるいは
センターピースが
素晴らしいものなのに
多くの人に広まらないのは
なぜだろう?

答えは
抽象度高く言えば

「困ってないから」

ということだ。

ではなぜ困ってない
のかと言えば

それは

「目標を
 持っていない
 から」

ということだ。

そしてなぜ目標を
持たないのかと
いえば

目標を持って
取り組んだけど

挫折した過去や
辛かった過去、
傷ついた過去があるから。

この世界というのは
不思議なもので
目標を持たなければ
惰性で生きている。

そして傷つくことは
起きないのだ。

例えば

告白しなければ
フラれることは
絶対に起きない。

営業しなければ
断られることは
絶対に起きない。

起業しなければ
お金が尽きることは
滅多に起きない。

つまり
「今と違う得たい結果」
を得ようとしなければ

辛い思いを
しなくて済むのだ。

キツい部活に入らず
ゆるい部活か帰宅部に
入れば

練習に行かないことで
怒られることはない。

それは「自由」なのだが

充実する方の
「自由」ではない
ような気がする。

不登校で
ゲームにハマってる
小中学生を持つ親御さんの
懸念もそこだろう。

学校には行かなくても
構わないが

「自由」を履き違えて
「堕落」しないで欲しい

という思いだ。

「どんな選択肢を
 選んでも幸せの
 総量は一緒」

という言葉に
加えて

僕の墓石に
掘って欲しい言葉が
あるとすれば

「エゴは両極を
 支配する」

という言葉だ。

「自由」を手にすれば
幸せになるかと思いきや

「自由」の側にも
エゴの魔の手は
及んでいるのだ。

それはあたかも

「悟り」を手にすれば
幸せになるかと思いきや

「悟りを得たい」
というエゴの魔の手の
中にいたというような
感覚に近い。

これを指して
最近僕は

「泥棒に泥棒犯を
 捕まえさせようと
 するのと同じ」

という例えを
よく使うのだが
これがイマイチ伝わり
にくいみたいだ。

それよりも

「質問の出所が
 負け戦」

の方がしっくりくるようだ。

どっちにしても
僕の名言というのは
僕自身の人生訓である。

もしあなたにも
人生訓のようなものが
あったら教えて欲しい。

あるいは人生訓が
なかったら

僕の名言集の
中で好きなものを
教えてもらえたら嬉しい。

今日のコール&レスポンスは

「私の人生訓は

 ”●●●●●”です!」

「私が好きな
 かめちゃん名言は

 ”●●●●●”です!」

でお願いしよう。

僕のメールフォルダが
名言で溢れかえるのを
楽しみにしている。

 


最後まで読んでくださってありがとうございました。

今日も素敵な1日をお過ごしください。

亀井 弘喜

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