おはようございます!亀井弘喜です。
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コントロールしたがる自分と、それを手放す自分
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「僕が今のようになれたのは、ヨガと出会ったからなんです」
2011年の9月か10月頃、ベストセラー作家の友人が講演会で言った一言でした。
僕はなぜかこの言葉が耳から離れず、帰り道にヨガスタジオを検索して、ヨガをしに行ったのです。
そして初めてヨガをしてから1ヶ月後くらいに、東京のマンションでお風呂に入っていたある瞬間、鹿児島で暮らしている自分の未来の映像がありありと見えました。
驚きとともにお風呂を飛び出て、当時一緒に暮らしていた奥さんを叩き起こして、興奮しながら、「変な映像が見えた。鹿児島に行こう」と伝えたのが「今の僕が今のようになれた理由」でした。
つまり僕も「今のようになれたのは、ヨガと出会ったから」なんです。
(もちろん、それだけではないですけどね)
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学生時代に学業が優秀だった子どもたちは一種の「無敵感」を持ちます。
なんでもできるし、なんでもコントロールできる。
そんな感覚のまま大人になると、本来コントロールなんてできないはずの「人生そのもの」までコントロールしている感覚になるのです。
社会人になってからの僕がそんな感じでした。
人生をコントロールをしようとすると、いくつかの弊害が起きます。
その最たるものは、「感情がわからなくなる」ことです。
感情とは、湧いてくるものであり、コントロールするのが難しい。
人生をコントロールしようとしている人間にとって、感情というのは邪魔者なのです。
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僕はヨガと出会ったときに、久しぶりに「コントロールを手放す」感覚を得ました。
それはおそらく無邪気だった子ども時代の感覚です。
純粋に一つ一つのポーズが楽しくて、毎日のようにヨガに通っていました。
それは、僕にとっては、「コントロールからの解放」であり「手放しの始まり」だったとも言えるでしょう。
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今の僕は、学力による「無敵感」ではなく、コントロールによる「無敵感」でもなく、手放しによる「無敵感」とともに人生を生きています。
何が起きても、起きなくても大丈夫。
何が起きても、起きなくても幸せ。
何が起きても、起きなくても満たされている。
そんな感覚はきっとあの学生時代の延長線で「コントロール力」を鍛えても手に入らなかったことでしょう。
手放す筋力を鍛え続けたこと。
それが僕の幸せの源泉であり、
セミナー講師やヒーラーとしての強み・特徴だということになるのです。
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あなたは何をコントロールしようとしていますか?
あなたが手放したらいいこととは何でしょうか?
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今日も愛に溢れた1日をお過ごしください。
僕もそうなります。
亀井 弘喜