おはようございます!亀井弘喜です。
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◉今日のテーマ:
「スピリチュアル的記憶喪失になっていた」
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最近よく紹介している本、
「自分をゆるすということ」
の中でとても印象的だった
フレーズがあります。
それは
「人は皆、スピリチュアル的記憶喪失になっている」
という一節でした。
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スピリチュアル的記憶喪失。
どういう意味かというと、
一言で言えば、
「自分は何者か、ということを
忘れた状態」
と言えるでしょう。
また別な表現をすれば
「この世界の本質は一体何なのか、
ということを忘れた状態」
とも言えます。
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僕のメンターのアラン・コーエンさんが
よく使う例え話があります。
昔、アメリカ西部にインディアンがいました。
インディアンを街に連れてきて
映画を見せました。
映画という概念を知らないインディアンは、
映画の中の登場人物がスクリーンの中で
こちらに向かって銃を向けるシーンの際、
自分が持っていた銃を引き抜いて、
スクリーン上の登場人物を撃ったのです。
もちろん、映画は変わらず上映され、
スクリーンに穴が空いただけでした。
***
映画を映画だとわかっている観客は、
映画の中の登場人物を撃ち抜こうとしません。
映画を映画だとわかっておらず
現実世界と混同したインディアンは、
映画の中の登場人物を撃ち抜いたのです。
***
では僕たちは?
スピリチュアル的記憶喪失に陥れば、
この世界のあらゆる登場人物や出来事と
戦い続けるしかありません。
そして自分はちっぽけな、
取るに足らない存在でしかないでしょう。
スピリチュアル的な記憶を思い出せば
この世界の完全さに気づき、
自分の偉大さに敬服せずにはいられないでしょう。
映画は同じでも、
見る人の概念によって、
リアクションが変わるのと同じように
この世界は同じでも、
見る人の概念によって、
見えてくる世界は全く異なるのです。
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今日も最後まで読んでくださって
ありがとうございました。
素晴らしい1日をお過ごしください。
亀井弘喜