おはようございます!亀井弘喜です。
どうぞご覧ください。
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◉今日のテーマ:
「僕は「うつ病になった」のではなかった」
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僕は26才のときに、
うつ病という診断を受けたことがあります。
そのときは、半ば口癖のように
「俺、うつになっちゃって。」
とか
「俺、うつ病になっちゃって。」
とか
「俺、病気になっちゃって。」
という言葉を発していました。
言葉を発するたびに、
謎の安心感があったのを覚えています。
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その謎の安心感の名前は
「偽物」でした。
実際は、そう口にするたびに
自分の内側からエネルギーが失われて
いったのでした。
***
センターピース(開発者:犬飼ターボさん)
を学ぶようになって
この世界には事実と捉え方が
あることを知りました。
そして自分の人生の安心や幸せに
影響を与えるのは、
ほとんどの場面で事実ではなく
捉え方であることを知りました。
それからは
自分の安心や幸せに役立つ
捉え方を選ぶようになりました。
***
気づいたら、
「うつ病になった」
「病気だった」
という言葉を使わなくなりました。
代わりに使うようになったのは
「うつ病という診断を受けた」
とか
「うつ病という診断書をもらった」
という表現でした。
似ているけれど、
こちらの表現は、
僕の内側のエネルギーを
奪いませんでした。
***
僕の人生には、たまに
「私病気なんです。」
と言ってくる人が現れます。
もちろんそのこと自体は
否定しません。
でも僕の中では、
その人は病気の人だという
捉え方はしません。
健康な人であり、
完璧な人だと思って接します。
***
病気というのは、
隠れ蓑というか、一種のシェルターのような
役割を果たすことがあります。
僕は、うつ病という診断を
もらったとき、
なぜか安心感を感じ、
そしてその診断書が
自分を守ってくれるかのような
錯覚がありました。
実際に守ってくれたのは
診断書ではなく、
父の愛であり、
自分自身の気づきであり、
時間という名の癒しでした。
***
すべての人は美しくて、素晴らしい。
昨日のそみさんのイベントで
心から実感したことでした。
すべての人は美しくて、素晴らしい。
怒涛の一週間のメッセージを
集約するとそういうことのようでした。
その美しさ、素晴らしさを
より深くするために
僕は今日も生きて、
メルマガを書いているのです。
そろそろ搭乗時間が近づいてきました。
今日はこの辺で終わりにします。
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今日も最後まで読んでくださって
ありがとうございました。
素晴らしい1日をお過ごしください。
亀井弘喜