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愛ちゃんと大喧嘩してしまいました…

おはようございます。
亀井弘喜です。

動画配信のお知らせです。

【YouTube配信】
◉11/14(火)AM7:30-8:00ライフコーチかめちゃんLIVE配信はこちら

https://www.youtube.com/live/rqtDBOfPGR0?si=haq5hmXRvlk632SO

◉11/14(火)AM8:00-8:15プレミア動画配信はこちら

頼りたいのに頼れない。起業で自立した女性の信じがたい思い込み
https://youtu.be/05dihoob170
(9分42秒)

今日のメルマガです。
どうぞご覧ください。

↓↓↓

□■□——————————
今日の近況シェア
□■□——————————

11月13日(月)23:12
馬車道のマンションにて

今日は2週間ぶりの
何の講座もない余白日。

品川のホテルから
レンタカーを借りて
愛ちゃんと水戸まで
北ちゃんのゴルフレッスンに
行ってきた。

金沢センターピース
受講生のこーちゃんという
男性と現地で
待ち合わせをしていた。

行きの車中で
愛ちゃんとちょっとした
議論になった。

ある会話がきっかけで
愛ちゃんは口を聞かなくなり
心ここにあらず
という感じになっていた。

僕はその愛ちゃんの
様子を見て
何を考えてるのか
わからなくなった。

何分無言の時間が
続いたことだろうか。

サービスエリアに
着いても
無言の愛ちゃん。

僕は思わず

「せっかく一緒に
 出かけてるんだから
 何を考えてるのか
 わからない状態で
 黙らないで欲しい」

と伝えた。

そこからは
あまり記憶がないが
愛ちゃん側の言い分があり

そして僕側の言い分があり
お互いにヒートアップ
していき

最後は僕が
「もういい」と
話を強引に終わらせた。

僕は職業柄
他者のメンタルブロック発動に
敏感だ。

そして他者のテーマは
透けて見えるような
感覚になる。

夜に仲直りした
愛ちゃんからは

「かめちゃんの
 テーマは何なの?」

と聞かれた。

そのときは
パッと答えられなかったが

数時間経って
自分のテーマも
見えてきたので
それをシェアしようと思う。

「マイナス感情を
 感じているとき
 脳の90%は過去を
 思い出している」

と人間心理学
センターピースで
教わった。

僕は

「一緒にいるのに
 心ここにあらず」

という愛ちゃんの
様子に反応した。

思えば
一緒にいるのに

スマホをいじられるのを
極端に嫌がる僕の性質も
同じところから
派生しているようだ。

誰を思い出して
いたのだろうか。

「一緒にいるのに
 心ここにあらず」

というのが
キーワードだった。

パッと思い出したのは
生前の母の姿だ。

何度かYouTubeや
メルマガでシェアしているが

生前の母は
ビールが大好きで
半ばキッチンドランカー
のようになっていたことがある。

記憶がおぼろげ
なのだが

僕が小学校1年生から
小学校4年生くらいまでは
母はそんなにビールを
飲んでいる印象はなかった。

夜ご飯のとき
母はニコニコしながら
その日に学校であったことを
聞いてくれていた。

母に対して

「体も心も一緒に
 いてくれた」

という感覚が強かった
小学校1年生から
4年生くらいまでの間

僕は自己肯定感が
高く勉強もできて
クラスの人気者だった。

バレンタインの日には
行列ができるくらい
女子たちから
好かれていたのだ。

サッカークラブでは
才能を認められ
上の学年に混じって
試合や練習に出ていた。

人生の絶頂期だった。

母がいつの頃からか
家でお酒を飲むように
なった。

なぜ飲んでいるのかも
よくわからなかったし

どのくらい飲むのかも
予想もつかなかった。

確実なことは
飲み始めてしばらく経つと
母の目が別人のように
変わることだった。

そこから
母との会話はなくなった。

母は黙って
お酒を飲んでいることが
多く

何が起きているか
よくわからない
小学生の僕は

どうしていいか
わからずに
やり過ごしていた。

母が一緒に
いてくれなくなった
ように感じた

小学校5年生
くらいのある日

大好きだった
サッカークラブを
辞めた。

そこから少し
太り出して

自己肯定感も下がり
女子たちからは
嫌われ

バレンタインのチョコは
そこから大学2年生に
なって彼女ができるまで
一つももらえなかった。

幼い僕にとっては
すべてとも言える
母との関係。

母がお酒飲んで
心ここにあらず
という雰囲気になり

表情が乾いていく
ような感じがして怖かった。

愛ちゃんがスマホを
いじったり

自分の過去と
つながって
上の空で

助手席に乗っているのを
見ると

あのときの母の姿を
無意識に重ねて
しまうのだろう。

最近の僕には
ないくらいの
強いエネルギーで

「それをやめて欲しい」

「何を考えてるのか
 教えて欲しい」

と愛ちゃんに
要求をしていたのだった。

「目の前の相手は
 ダミーだよ」

「パートナーすら
 ダミーだよ」

僕は自分の講座の中で
よく受講生に伝えている。

その言葉の意味を
「目の前の相手」
と揉めている人は
最初わからない。

ダミーとは
一体どういうこと
なのか。

愛ちゃんと
仲直りをした
今夜

うっすらそのことに
気づき始めていた
帰り道

再び僕は
愛ちゃんとの
コミュニケーションで
刺激するような
言動をしてしまった。

一方的に
問い詰めるように
質問されると
僕は黙り込む癖がある。

そして

「この人に
 何を言っても
 無駄だな」

と諦めたような
気持ちになり
関係性やコミュニケーションを
終わらせたくなる。

この感覚の
出所は一体どこだろう。

それは
幼少期の母と父の
喧嘩の記憶にあるように思う。

酔っ払った母と
それに対して
論理的に反論する父。

圧倒的に
正しさでは
父の意見が勝っていた。

母は一生懸命
何かを言っていた
記憶があるのだが

スイッチの入ったように
父を責める母を見て

「この人に
 何を言っても
 無駄だな」

と小さいながらに
母のことを見放して
いたのかもしれない。

「自分が否定を
 握りしめていると

 その否定を
 手放すまで出来事が
 起き続ける」

(ちょっとひどくなりながら)

これも
受講生に日頃から
伝えていることだ。

言い方を変えれば

「癒されていない過去が
 あると

それが癒されるまで
 出来事が起き続ける」

(ちょっとひどくなりながら)

と言ってもいいだろう。

そして
その否定は
誰かの否定と

S極N極の反対の極となり
お互いを写し鏡の
ようにして
写し合うのだ。

癒されていない
過去があれば

相手の癒されていない
過去と

S極N極の反対の極となり
お互いを写し鏡の
ようにして
写し合うのだ。

愛ちゃん側に
どんな否定や
どんな癒されてない
過去があるのかは
僕にはわからない。

僕にわかるのは
僕自身にどんな
否定があるのか

僕自身にどんな
癒されていない
過去があるのか

ということだけだ。

今日の喧嘩を
通じて2つの否定が
見つかった。

1つ目は

「心ここにあらず」

という様子で
誰かと一緒のときを
過ごすこと。

心も一緒にいてくれたら
確かに嬉しいけど

一緒にいない自由だって
常に与えられている。

妄想も空想も
過去とつながることも
スマホをいじることも

今ここにつながって
一緒にいてくれることと
同じだけの価値があるのだ。

そのことを
教えてくれたのは
最近ハマっている
ディマティーニメソッドだ。

そしてもう一つの否定は

「一方的に話をすること」

「一方的に質問をすること」

「一方的に責め立てること」

これを否定していた僕は
おそらく気づいた時には
それをしていただろうし

それをされると
その人とのつながりを
ぶった切って生きてきたのだ。

それはトカゲの
尻尾のように
生え続ける。

つながりをぶった切った
ところでまたそれを
する人が現れてくるのが
この人生ゲームなのだ。

その仕組みに
うんざりしては
いけない。

それは
バンカーや池に
うんざりするゴルファーと
同じである。

深いバンカーを見たら
「よく作ったなぁ」
「困ったなぁ」と
ほくそ笑み、

大きな池を見たら
「よく作ったかなぁ」
「超えられるかなぁ」
とチャレンジする
ゴルファーでありたい。

自分の否定に
うんざりしては
いけない。

自分の癒されていない
過去にうんざりしては
いけない。

それは人生が
楽しくなくなって
しまうから。

隠された宝物を
見つけるかのように
自分の否定を発見したい。

自分の癒されていない
過去を発見したい。

ここまでの文章を
書いている内容を
愛ちゃんに見られながら
書き終えたのが今である。

これを読んだ愛ちゃんは
どう思っているのだろうか。

送信設定をした後にでも
聞いてみようと思う。

「価値観が合うのが
 いいパートナー」

「一緒にいて
 楽しいことばかりなのが
 いいパートナー」

「お互いのいいところ
 を見せ合うのが
 いいパートナー」

そんな風に思って
僕は人生を過ごしてきた。

もちろん今でも
そうありたいと
思うが

最近は感覚が変わってきた。

愛ちゃんと価値観が
合わない部分を
発見すると嬉しくなる。

愛ちゃんと一緒にいて
ムカついたり悲しくなったり
言い合ったりする体験も
楽しいと思える。

愛ちゃんと一緒にいると
お互いに他に人には
見せないようなネガティブな
側面を見せ合い

お互いに自己嫌悪になったり
めっちゃ他人責めしたりする。

大半の人には
そんなことをしないから

懐かしさすら覚えて
嬉しくなる。

パートナーとは
永遠に自分の否定や
癒されてない過去を
最も見せ合う

「鏡」

のような存在
だとしたら。

僕は愛ちゃん以上の
鏡を知らない。

だから僕にとっては
愛ちゃんは
ベストパートナーだと
自信を持って
言い切れるのだ。

真理さんの
パートナーシップは
どうだろうか。

お互いを
クリアな鏡として
写し合っている
だろうか。

それともお互いの
良いところだけを
写し出すように
少し歪ませているだろうか。

それとも
鏡にカーテンをして
もはやお互いを
写さないように
しているだろうか。

どんなパートナーシップ
でも構わない。

人間らしい
素晴らしい体験の1つだ。

僕の人生における
最難関課題が
パートナーシップだ。

ゴルフと同じように
正解もないし
できたと思ったら
すぐできなくなる。

だから楽しいのだと思う。

真理さんの
パートナーシップは
どうだろうか。

よかったら
返信で教えて欲しい。

あるいは今日の
長文メルマガの感想を
教えて欲しい。

(今日はこれが
コール&レスポンス代わりです)

めっちゃたくさん
文章書いたような
気がするが

ほとんどアドリブで
35分もかけて書いた。

これが噂の
「ゾーンに入る」
というものであり

「降りてくる」
というものだろう。

あー、よく書いた!

□■□——————————
今日の学び:
魚の目で見るか
鳥の目で見るか
□■□——————————

 

ある時期僕があちこちで
シェアしていた話の一つ。

それが「視点の高さ」でした。

 

抽象か具体かという表現に
置き換えてもいいでしょう。

人生が行き詰まるときは大概
その行き詰まっている本人の
視点が低い状態です。

視点が低いと見えるものが
限定されるのです。

ちょうど魚が
目の前のものだけを見て
泳ぐような状態です。

人生が飛躍するとき
もしくは行き詰まりを
解消するとき

本人の視点は
高い状態です。

視点が高いと
問題の本質が
浮き彫りになるのです。

鳥が、世界全体を
見回しながら
飛んでいるような状態です。

視点が高ければ
人生を軽やかに飛べる。

だとするなら僕たちが
学ぶ必要のある人生の科目は
「視点の上げ方」です。

でも残念ながら
それは直接的に教わる場面は
多くありません。

・親や先輩や上司とのかかわり

・読書や映画

・人生の試練を乗り越える経験

そういったものによって
もたらされる程度でしょう。

自己啓発の領域や
学びの領域は
視点を上げるきっかけには
最適です。

実際僕は、これまで
学び始めてから何度も
視点を上げて

その度に大きな成長を
遂げてきました。

きっと2012年の
独立当初の僕の視点と
今2023年の僕の視点は
高さが大きく異なるはずです。

だから同じ話を
していたとしても
意図が違うだろうし、

同じ話を聞いていたとしても
受け取るものが違うのです。

僕が提供している
セミナーや講座は

すべて
「視点を上げる」
効果・作用があります。

僕と出会うと気づきが
生まれたり、癒されたり
会いたいと言ってくれる人が
多いのは

その視点の高さにあるのでは
ないかと気づいたのが
ある日の食事会のことでした。

最高の視点とは
何なのでしょうか。

それが、「創造主」の視点であり
言葉を変えれば「愛」の視点
とも言えるでしょう。

僕は、愛で
人を見ていたい。

愛で、自分の人生を
見ていたいのです。

視点を低く
怖れのフィルターで世界を見れば
世界は怖れに満ちたものになります。

視点を高く
愛のフィルターで世界を見れば
世界は愛に満ちたものになるのです。

 


最後まで読んでくださってありがとうございました。

今日も素敵な1日をお過ごしください。

亀井 弘喜

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