おはようございます!亀井弘喜です。
今日のメルマガです。
どうぞご覧ください。
↓↓↓
□■□―――――――――――――
魂に悔いはない
□■□―――――――――――――
人が亡くなったとき、「悔いはなかったのだろうか?」と思うことがあります。
2010年6月30日、母を亡くしたときも僕はよくそう思っていました。
※当記事は数年前に書いたものを加筆修正しています
タバコをたくさん吸って、お酒をたくさん飲んで、いつも酩酊状態で…。
身体を蝕みながらも生きた59年の母の人生。
悔いはなかったのかな、と疑問に思ったのです。
医者からは、タバコが原因で肺に腫瘍ができて、それが脳に転移したのだと説明を受けていました。
ということは、あの40年もの間吸い続けていたタバコが犯人なのか。
僕はますますタバコを憎むようになりました。
母はそれでも亡くなる1週間前にもタバコを吸いに病室から出かけました。
僕は思わず怒りとともに母に言いました。
「タバコが原因でガンになったようなものなのに何を考えてるの?」
母は僕を強い眼差しで見据えると静かにこう言いました。
「タバコが吸えないくらいなら、死んだほうがマシよ。」
僕は返す言葉がありませんでした。
黙って、タバコを吸いに外に出る母を見送りました。
父は、タバコを吸いにいく母に肩を貸して二人で外に出ていきました。
母のあのときの言葉を僕はなぜかよく覚えています。
母の魂は、タバコを吸ったことに悔いはなかったのだと思います。
悔いがあったのは、僕の意識の中だけでした。
人の魂の望みは他人にはわからない。
他人にできることはそれを尊重することだけなのだと知った瞬間でした。
魂に悔いはない。
すべての言動は、その人に宿った魂にとって最善だったと捉えることができたら、きっとすべてのことがゆるせるようになるのでしょうね。
最後まで読んでくださってありがとうございました。
今日も素敵な1日をお過ごしください。
亀井 弘喜