おはようございます!亀井弘喜です。
今日のメルマガです。
どうぞご覧ください。
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◉今日のテーマ:
「正当な罪悪感と不当な罪悪感」
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さて、前回のメルマガでは、
「自分の感情は自分のもの」
ということを書きました。
でもこういうことを書くと
質問として
「ではどんなにひどいことを
しても謝る必要はないということですか?」
「どんなにひどいことを
されても泣き寝入りするしかない
ということですか?」
というのが来ることがあります。
僕の答えはシンプルです。
「謝る必要がある場面はあります。」
「泣き寝入りする必要はありません。」
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その答えをわかりやすく
解説してくれた1冊の本があります。
「自分をゆるすということ」
という本です。
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本屋で偶然見つけたこの本の中に
「正当な罪悪感と不当な罪悪感」
という一節を見つけました。
(P109から以下引用)
◉正当な罪悪感とは
社会の約束ごとを破った場合、
わたしたちは罪悪感を覚えるべきです。
たとえば酔っ払って無謀な運転をして
人を轢き殺してしまった場合、
それに対して罪悪感を覚えるのが当然です。
この場合、罪悪感こそがわたしたちが
まともな良心をもっていることの証です。
罪悪感はわたしたちの教師の役目を
果たしているのです。
◉不当な罪悪感とは
安全運転をしている最中に
突然自転車が目の前に飛び出してきて
避けることも車を止めることも
できずに相手を死なせてしまった場合、
その罪悪感は正当なものではありません。
打ちひしがれ、後悔の気持ちに
かられるのはもっともですが、
罪悪感を覚えるのは筋が違います。
この状況は罪悪感を抱くに値しない、
すなわち、私たちは罪悪感を覚える
必要がないのであって、
裁く自我にそのことを
伝えなければなりません。
なぜなら、わたしたちに非がなくても
裁く自我は事故が起きた途端、
まるで鬼の首でもとったかのように
声高に非難し始めるからです。
(引用ここまで)
***
日頃、クライアントから相談を
受けていて感じることは、
クライアントが抱える悩みと
そのものになっている罪悪感の多くは
「不当な罪悪感」
だということです。
不当な罪悪感を抱いているとき
人は冷静な判断ができません。
極端な判断や行動に出てしまうのです。
裁く自我の声をよく聞いて、
優しくその罪悪感は必要ないということを
伝えてあげること。
不当な罪悪感から解放されたとき
人生は大きく変わりだすのです。
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今日も最後まで読んでくださって
ありがとうございました。
素晴らしい1日をお過ごしください。
亀井弘喜