8年前、ワールドカップの敗戦とともに終えた母の命

おはようございます!亀井弘喜です。

地元仙台でのセカウラお話会も50名満席で熱く熱く終了しました。

妻の愛ちゃんもサポートしてくれて、みんなに紹介したりして、幸せな2時間でした!

今日のメルマガです。

どうぞご覧ください。

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◉今日のテーマ:

「8年前、ワールドカップの敗戦とともに終えた母の命」

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僕がワールドカップと聞いて
すぐに思い出すのは
2010年6月30日のことです。

南アフリカW杯で、
日本は飛躍的な躍進を
続けていました。

そして6月30日に
決勝トーナメント1回戦で
負けたのです。

あの日も雨でした。

***

その日が母の命日となりました。

2010年5月頭に緊急入院し
脳のがんである脳腫瘍が見つかり、
末期であり助からないと言われた母。

当時まだ59歳でした。

6月に入って、奇跡的な治癒を見せて
これならいけるかもしれない、
とお医者さんも家族も沸き立ちました。

それは同時に日本代表が
W杯で奇跡を起こしていたのと
リンクしていました。

***

6月30日の3日前、
27日に母は一時退院していた自宅で
倒れました。

今度は脳梗塞を起こしており
右半身不随の状態となりました。

意識もあるのかないのかわからず、
僕のことすら認識しなくなった
あの瞬間を僕は忘れることができません。

***

6月30日の早朝、
日本はW杯で負けました。

そのあと数時間して、
病院から今すぐ来るように
家族全員が呼ばれました。

静かに母は息を引き取りました。

W杯とともに、
母の人生の命が終えたように
感じられた瞬間でした。

***

不思議なことに、
あのときすぐには泣けませんでした。

今ならわかります。

僕は感情が麻痺していたのです。

淡々と死を見届け、
淡々と通夜とお葬式が始まり、
淡々とお骨を拾っていました。

それでも東京に戻って
会社員として仕事を続けていました。

***

泣けなくて泣けなくて
枯れたような毎日を過ごしていました。

1〜2ヶ月経ったある日、
会社からの帰り道、
ふと母の作った唐揚げを思い出しました。

大好きだった母の唐揚げ。

あれがもう食べれないのかと思うと
ふと急に悲しさがこみ上げてきました。

東京は神楽坂の道端で、
声をあげて泣きました。

僕が僕の感情とつながった瞬間でした。

***

命とは何なのか。

あまり誰も教えてくれないテーマです。

そのことを知りたくて、
僕はのちにヨガの世界と出会いました。

スピリチュアルな世界とも出会いました。

僕なりの答えも見つかりました。

母の唐揚げはもう食べることは
できないけれど、母の愛は
僕の中に変わらずあることにも気づきました。

命は続いていくのです。

リレー競走のバトンが命であり、
走者はそれをつなぐ人間たち。

僕は母から受け継いだバトンを手に
今日もメルマガを書いています。

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今日も最後まで読んでくださって
ありがとうございました。

素晴らしい1日をお過ごしください。

 

 

亀井弘喜

 

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