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“武田邦彦さんが参政党離脱”を話したら

2023年11月16日

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おはようございます。
亀井弘喜です。

動画配信のお知らせです。
【YouTube配信】
◉11/16(木)AM7:30-8:00ライフコーチかめちゃんLIVE配信はこちら

https://www.youtube.com/live/3sfymDByUk4?si=UJFSO6bEo28swNmU

◉11/16(木)AM8:00-8:15プレミア動画配信はこちら

【どうせ夢ならばどう生きる?】答えを探し求め行き着いた『人生の楽しみ方』
https://youtu.be/pHlKcO-lnAk
(17分17秒)

先日更新のアメブロです。

愛ちゃんと大喧嘩してしまいました…
https://ameblo.jp/hkamei1978/entry-12828593636.html

今日のメルマガです。
どうぞご覧ください。

↓↓↓

□■□——————————
今日の近況シェア:
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11月16日(木)AM7:04
馬車道のマンションにて

昨日もルーティンというか
ライブ配信をして

センターピース横浜70期
中級第1講を教えて

一度家に帰って
お風呂に入ってから

懇親会に顔を出して
3人の大解放を見届けて

久しぶりの
筋トレをして
1日を終えた。

夜にはエネルギーが
残っておらず

今こうして
朝に書いている。

筋トレをすると
翌朝の目覚めが
スッキリする。

身体的には
より疲れるはずなのに
エネルギーが復活する
から不思議なものだ。

昨日のライブ配信では
武田邦彦さんが
参政党を離脱した話を
伝えた。

最近は
ライブ配信は6,000〜7,000回
再生が多かったのだが

久しぶりに
1万5,000回を超えた。

本質的な話をすれば
再生回数は少なくなり

表面的な話や
ゴシップ的な話をすると
再生回数は多くなる。

これはエゴの性質が
影響していると思う。

エゴは本質を嫌い
ゴシップを好むのだろう。

僕はそのことに
早くから気づいていたから

2019年から始めた
YouTubeでは
一貫して本質的な話を
していた。

すると広がらなかった。

2021年から始めた
セカウラ希望塾という
世界の裏や闇だけを
伝えるチャンネルは

あっという間に広がり
チャンネル登録者数
4万人を超えていった。

あのとき何が
起きていたのか
よくわかってなかったけど

「自分が伝えたい」
本質の話をしていた
自分軸から

「視聴者が求めている」
ニーズのある話という
共存へとシフトした

というのが今の解釈
である。

最近令和の虎に
ハマっている。

とくにこの回が
僕にはヒットした。

https://www.youtube.com/watch?v=YHyZ9BY_Qnk&t=2459s

27歳の志願者が
話すプレゼンは

「自分がやりたい」

という自分軸しかなかった。

虎たちの視点は

「ニーズはあるのか」

「視聴者やお客さんにとって
 価値があるのか」

という共存の視点だったのだ。

「自分がやりたい」
という自分軸がダメだと
言ってるわけではない。

センターピース開発者で
僕のメンターの犬飼ターボさんは

“「あり方」は成長する”
と教えてくれた。

「他人にしてもらう」
他人軸から

「自分がやりたい」
「自分でやる」
自分軸へ

そして
「他人にしてあげる」
「他人のニーズを満たす」
共存へ

人のあり方は
成長するのだ。

それはあたかも

生まれたての赤ちゃんが
幼児になって

いつしか
思春期になって
自立して

やがて親になって
子どもを育てる
ようになる
プロセスと同じだ。

親になったからと
いって

他人にしてもらっては
いけないわけではないし

自分のやりたいことを
やってはいけないわけ
ではない。

共存までたどり着いた
後もまた他人軸に
戻ったり

自分軸に戻ったり
しながら楽しめるのが
この人間ゲームなのだろう。

そろそろ
ライブ配信の時間が
近づいてきたので
今日はこのへんで!

□■□——————————
今日の学び:
「名付け」
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関係性に名前が
ついたのはいつの時代
からなのでしょうか。

友だちのことを
友だちと呼び

親友のことを
親友と呼び

恋人のことを
恋人と呼び

夫婦のことを
夫婦と呼ぶ。

名付けというのは
とても不思議な概念です。

例えば
「俺たち友だちだよね」
とある二人の人間が
会話していたとして

その二人にとっての
「友だち」の概念は
微妙に違っているのです。

あるいは
「私たちって恋人だよね」
とある二人の男女が
会話していたとして

その二人にとっての
「恋人」の概念も微妙に
違っていることでしょう。

関係性に名前を
つけないと人間は
どうなるのでしょう。

不安になるのでしょうか。

僕は、不安にはならない
タイプのようです。

むしろ、名付けた瞬間から
どこかで窮屈さを感じる
性質すらあるようです。

名付けの反対の概念を
考えてみます。

「名付け」の反対とは?

正解はないけど
僕の感覚では

「存在する」

という感じです。

「ただ在る」

といってもいいでしょう。

大切な人が
目の前にいたとき

その人との関係性に
名前なんてついていない
ことが最近よくあります。

正確に言えば
名前をつけようがない
という感じです。

無理やり名前を
つけようとするならば

「魂の友」とか
「魂の家族」という
感覚です。

でも、それでいいのでは
ないかとも思います。

魂の友が
魂の約束を果たすために
再会し何かをともに体験する。

それ自体が
目的だったとしたら

意味とか名付けとかに
とらわれる必要は
なくなっていくことでしょう。

そういう意味では
このメルマガを
読んでくださっている

あなたと僕との関係も
不思議なものです。

「書き手」と「読者」と
名付けることもできる
でしょうけど
僕にはそんな感覚はありません。

「心の底から
湧き出ることを
表現する自分」

「それを
受け取ってくれる
大切な存在としてのあなた」

がそこにいるだけです。

「私とは
 ”愛ある意識”のことです」

2014年に
マウイ島で受けた
アランコーエンさんの
リトリートで

特別ゲストのラムダスさんが
話してくれた言葉です。

“愛ある意識”である
私が

“愛ある意識”である
あなたにこれを
送っているのです。


最後まで読んでくださってありがとうございました。

今日も素敵な1日をお過ごしください。

亀井 弘喜

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